『ロードス島戦記』に至るまで
- hally
- ゲームに関しては、プレイヤーより一段上の目線に立っておられたといえそうですね。
- 佐藤
- 一段上かどうかは分かりませんけれど、新しくて輝いている産業と一緒に育ってきた、というのが近いかもしれませんね。プレイヤーという意識はあんまりないですね。
- 鈴木
- 佐藤さんのような立場の方は、当時少なかったのではないでしょうか。作り手側は比較的、プレイヤーから入ってきた人たちが多かったでしょうから。
- 佐藤
- 経営側の人たちとも、少し違っていたかもしれませんね。
- hally
- 『コンプティーク』の創刊当時には、パソコンを主軸とした雑誌が、他社でも立て続けに創刊されていましたよね。『コンプティーク』はその中で、もっともメディアミックス的な要素が強かったと思います。いまではメディアミックスなんて当たり前になっていますが、当時いち早くそれができたのは、パソコンへの視野狭窄(きょうさく)に陥らず、幅広く業界を見ておられたゆえなんですね。
- 佐藤
- そうですね、角川書店はやはり角川文庫に象徴されるような文芸の出版社ですし。パソコンゲームというよりも、その物語性みたいなものに注目して、小説や漫画というところに広げていく。そういう意味で、角川書店ならではということを追求した結果でもあったなと。
- hally
- 誌面における読み物やコミックの充実ぶりは印象的でした。一世を風靡した『ロードス島戦記』は言わずもがなですが、鋭い切り口のコラム群も魅力的で、いま読み返しても面白いものが多いです。
ゲーム誌のなかで最初にコミック展開に力を入れたのも『コンプティーク』でした。連載第一弾となった『神聖記ヴァグランツ』(麻宮騎亜/ヴォクソール・プロ)は、初っ端から読者を突き放すくらい難解な内容で、びっくりさせられたものです。僕は当時、「ありとあらゆる方面から実験的に仕掛けてくるなあ」と小学生ながらに思っていました。
- 佐藤
- 菊池通隆さんが、麻宮騎亜という名前で、原作付きでやったんですよね。ヴォクソール・プロっていうのは、記憶が定かではないけど、ゲームライター集団のような人たちで、そういう人たちにちゃんと原作を組ませてやってみたらどうか、というアイデアから始まったんです。誰が言い出したかは覚えてないんだけど、極めて実験的ではあったと思います。
- hally
- そうやって、エンターテイメント誌としての流れができていくなかで、『ロードス島戦記』が出てきます。あそこまでの大ヒットを予期しておられたかどうか分からないんですが、最終的には、むしろ『ロードス島戦記』を目当てに買う人も少なくなかったんじゃないでしょうか。
- 佐藤
- 結果的にうまく流れに乗ったというか。『ロードス島戦記』の場合、きっかけは角川会長が安田均さんと出会ったことだったんです。「ロールプレイングゲームという新しいゲームジャンルがどうもあるらしい」ということで、会長が安田さんに会いに行くことになって、「お前も来い」みたいなことになって、ついて行きました。
その後『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をどういう風に(誌面で)紹介したらいいだろうかという段になって、安田さんのほうから会いに来てくださったんです。
安田さんは「ロールプレーイングゲームというのは、会話によって成り立つゲームだから、そのダイナミズムみたいなものを伝えたほうがいい。ゲームのルールだとか何だとかを単に紹介するんじゃつまらない」と。そこから「遊びそのもののダイナミズムを伝えるために、リプレイを掲載してみたらどうか。前からやってみたかったんだ」というお話になって、『ロードス島戦記』が始まるわけです。そして、その(リプレイの)中心人物であった水野君が小説にするという……。
『コンプティーク』にはパソコンゲームやアーケードゲームから始まるテレビゲームの流れと、もうひとつ、TSRなどによるロールプレイングゲームの流れがありますね。後者は1970年代に生まれたわけですが、このあたりを身に付けた人たち――安田先生だったり、水野君だったり、日本ファルコムの人たちもそうだし、『ブラックオニキス』を作ったBPSのヘンクとか、場合によっては『ドラゴンクエスト』を作った堀井雄二さんなんかも――そういう人たちのもたらした、ある種のインパクトが、深沢美潮さんなどの新しい人材を次々と生み出した、という感じがしますね。
そういう衝撃をそれぞれのやり方で消化して、作家になった人もいれば、パソコンゲームを作っていた人もいれば、安田先生みたいにある種の批評家から入っていく人もいる。いろんな立場で、その時代を過ごしたんじゃないかな、と今になって思いますね。
- hally
- 流れは違えど、結果的に、アナログtoデジタルという柱の中へ収斂していく感じですね。
- 佐藤
- その場として『コンプティーク』があった。